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日本語日本文化教育センター留学生修了式 2011年8月19日[2011年8月25日]

2011年8月19日午前10時30分より、日本語日本文化教育センター留学生修了式が行われ、2010-2011年メイプル・プログラムの修了生52名に修了証書が授与されました。

 

こちらは修了生の集合写真です。 

all members 

 

日本語日本文化教育センター長の式辞の後、3名の修了生代表から挨拶があり、この1年間思ったこと考えたこと、思い出、CJLCの教職員に対するお礼の気持ち、修了生との再会の約束などが語られました。

 

 

修了生代表 戦暁氷(武漢大学)

Zhan

先生方、留学生の皆様、こんにちは。

去年の九月、私たちはここ、大阪大学CJLCに集まりました。

あっという間に過ぎた1年でしたが、いろいろな授業に参加したり、いろいろな所に見学に行ったり、充実した日々を送ることが出来ました。知らず知らずのうちに、みんなの日本語レベルもずいぶん伸びたように思います。

先生方、1年間丁寧にご指導いただき、ありがとうございました。

この一年間を通し、いろいろな体験をしましたが、今日ここで、日本で生活して特に感じた、二つの感想をお話ししたいと思います。

一つ目は「違い」です。

日本に来て初めての感動、皆さんはまだ覚えていますか?

私が、最初に感動したのは、日本に来て初めてバスに乗ったときの運転手の言葉でした。「バスが止まるまで、そのままお待ちください」。ここにいらしゃる日本の方は「それ、当たり前じゃない」と思うでしょう。私の国では、バスの運転手に「他人の時間を節約するため、次に降りる乗客は早めに降り口に移動してください」と言われます。だから、「止まるまで、お待ちください」という言葉は私にはとてもやさしく、思いやりのある言葉に聞こえました。日本人はどの国の人よりも時間、効率を重視するとおもいます。しかし、効率より、安全、人の命がもっと大切にされています。命を大切にして、周りの人や物に常に感謝の気持ちを持って、小さい所にも気を配ることは、日本人の心だと思います。それも、私が学んだ大切なことです。

二つ目は「同じ」です。

日本に来る前は、学校の授業でも、周りの人の話の中でも、いつも「中国はこうですが、日本はそうです」というような比較ばかりし、日本と自国の違いが強調されていたように思います。しかし、実際に日本で生活してみると、同じ人間としての感情、考え方などは、やはり似っている所が多いと感じます。日本に来る前に持っていた、国を越えた距離感は実は大間違いだと思います。先入観にとらわれず、お互いにもっと心を開いて、認識し合うべきだと思います。そうすれば、いろいろな問題も新しい角度で見られるでしょう。

今年、私たちが留学している間に、東日本が大変な状況になりました。私たちの留学環境も変わりました。でも、そのため、日本国民の頑張る姿が見られ、日本精神が感じられ、それも貴重な経験だと思います。

東日本が一日も早く復興するよう心から祈っております。

最後にもう一度、先生と事務室の方々に感謝の気持ちを表したいと思います。

留学生の皆さんもいつでもお元気で、今後のご活躍をお祈りします。

また地球のどこかでお会いしましょう。

以上です。ご清聴ありがとうございました。

 

 

修了生代表 ジョアン・マティアス(サンパウロ大学)

Joan

ブラジルから参りましたジョアン・マチアスと申します。メイプルプログラムの代表の一人として修了式で挨拶することを大変うれしく存じます。

さて、日本に留学することは私たちにとってとてもよい経験であることは言うまでもありません。でも、残念ながら一年という時間があっという間に過ぎ、いよいよ帰国の日が迫ってきました。実は、私にとって外国に来たのはこれが初めてでした。最初は何をするにしても心が落ち着きませんでした。といっても、それは不安だからではなく、うれしさでワクワクしていたからです。例えば、日本へ来る前はこんな細いなことは全然考えもしなかったのですが、初めてスーパーで買い物をして、お釣りをもらったときのこと、日本のお札と硬貨をみて「そうだ、これから一年間日本のお金で買い物をするんだ。僕は今まさに日本にいるんだ!」と感激しました。それは最初の日の思い出ですが、その後経験してきた細いなことも本当に印象に残っており、すべて昨日の出来事のような感じがします。

日本に留学することが決まったとき、いろいろと期待や想像をしました。実際に日本へ来てみて、期待通り、想像通りだったものもありましたが、そうではなかったものもありました。でも、それがいいとか悪いとかと言ったり、「思っていたとおりでよかった」、「こんな風じゃなかったらよかったのに」と考えたりするより、ただ違う文化を知ってそれをそのまま体験することがすばらしいのだと考えるようになりました。留学とは、好きな日本のことを一所懸命勉強して、そして、できるだけ遊んで友達を作って日々を楽しむということなんですよね。

日々を楽しむと言えば、日本は小さい国なのに、とても豊かな文化を持っていることは皆さんもご存じのとおりです。バリエーションに富んだ地方がたくさんある中で、私はやはり大阪大学に留学できてよかったと思います。大阪は関西の真ん中にあり、京都や奈良などの歴史の古い町に囲まれ、数えきれないほどある面白いところへすぐに行くことができます。でも、そうは言っても、すべての場所に出かけるのには、1年間の留学はさすがに短すぎました。皆さんもそう思いませんか。

私が日本へ来た目的は、もちろん日本のことを勉強するためですが、実際は、たくさんの国から来た留学生と友達になり、日本語や日本文化だけではなく、いろいろな国のことも分かるようになりました。日本のことを教えてくださった先生方、今までに出会った日本人、それから、楽しい旅行だけでなく苦しい試験もいっしょに経験した留学生から、多くを学べたことを本当にありがたく思います。そして、事務室の方々にも、いろいろサポートいただいことも忘れません。今回の留学は、私の期待や想像以上に面白くて、楽しく、刺激的で、勉強になるものでした。

日本は本当にいい国で、日本語が本当に興味深い言語だということを私はこの留学を通して実感しました。充実した、実り多き1年間だったことは間違いありません。でも、後悔することがあるかと聞かれたら、残念なことに「ある」と答えざるを得ません。というのも、いくら留学生みんなと仲良くしたいと思っていても、あまりにもたくさんいるので、それができなかったからです。最後まで知り合いになることができなかった人たちには「ごめんなさい」と言うしかありませんが、でも、この1年間をいっしょに過ごした留学仲間だと私は皆さんのことを思っています。将来また会うことができたら、今度は是非もっと話したり、遊んだりしましょうね!では、今まで「一所懸命」勉強してきたみなさん、授業はすべて終わってしまいましたが、帰国までの残された時間を一所懸命楽しみましょう! 

ありがとうございました。

 

 

修了生代表 ミルナ・オンベル(ストラスブール大学)

Myrna

皆さん今日は。私はミルナと申します。まず、私が最初に申し上げたいことは、私はMM1の学生です。つまり、日本語が一番上手ではないと考えられている学生です。特に、私は文法が苦手です。しかし、見てください、CJLCで一年間勉強すると、日本語がこんなに上手になりました。今、私はできるだけ丁寧に話していますが、通じていますか?

先月、私はアドバイザーに面白い話をするように言われました。フランス人が話して日本人にとって面白いことって、何でしょうか?そこで、私は日本人の友達にメールを送って、尋ねました。すると、その友達の答えは簡単でした。それは「良いスピーチを期待するということだよ」というものでした。さて、これは大変です。フランス語で「良い」には本当にたくさんの意味がありますので、私は絶望の淵に沈んでしまいました。ところが元気なミルナは、「ミルナ語で書いたら、多分それが面白い」と思いついて、「ピンポン・・・・行きましょう、ミルナ風で」と決めました。

皆さん、あの日は私にとって夢のようでした。私は友人と春休みの間にいろんなところに観光したかったです。お金がなかったのに春休みだから友人と東京へ行きました。初めの日には雷門や浅草寺を訪ねました。私たちはとてもうれしかった。写真を撮ったしHitsumabushiを食べたし、ホテルの窓からskytreeを見ました。

次の日は横浜でした。私の友人は特別なコースを選びました。彼女は好きなビジュアル系バンドの写真集を見ながら観光を行いました。この写真集の中にある写真は横浜の観覧車で撮られていました。だから横浜に行くことが必要でした。あの日は3月11日でした。生きている限りこの日を忘れません。私たちは午前3時まで横浜のデパートに座ったままでいました。時々デパートの警備員さんは皆に千葉の火事とか津波の情報を教えてくれました。不安で胸が締め付けられる長い夜でした。しかし日本人の自制心を確認しました。

日曜日に大阪に戻りました。横浜とは違っていい天気でした。千里中央駅の近くで、皆は嬉しそうで、恋人が手に手を取って歩いていました。親たちは子供たちと露店に行きました。もう一度日本人の自制心を確認しました。

しかしこの地震を知った心配性なフランス人が私を連れ戻そうとしました。私の大学は帰国を命令したのです。

二ヶ月間、私は大学の指示によってフランスに残りました。今、日本は安全な国ではありませんと言われました。そして、Mプログラムを止めさせられました。私は絶望の淵に沈んでしまいました。日本に戻りたかったけどやはり無理でした。

この二ヶ月の間に毎週、私は大学にメールを送りました。私は子供じゃないし、私費留学生だから自分で決めたかったのです。日本でまだ沢山学びたい事が残っていました。いつかあの人たちは私の気持ちを分かるようになると思っていました。私の心の中でまだ希望が残っていました。そしてようやく5月の末にやっと日本に戻ることができたのです。

私にとって、日本での一年間は本当に楽しい、有意義なものでした。これからも日本との結びつきを大切にして行きたいと考えています。ご静聴ありがとうございました。

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